2018年4月15日日曜日

【(株)大川印刷 大川社長インタビュー】

 こんにちは!CYJ 2018年度国内政策事業統括の新荘です。
 お気に入りのお弁当の、色鮮やかなパッケージや、旅の記念にもなるパンフレット。
これらがどこでどのように印刷されているか、みなさんはご存知でしょうか。
「印刷なんて、どこにお願いしても一緒でしょ。」なんて思っていませんか?
 実は印刷物一つとっても、どのような紙やインキを使って、どのように印刷するかによって、
環境に与える影響は大きく異なってきます。
 
 今回は、印刷インキに石油系溶剤を使用せず、印刷時の電力にともなうCO2の排出を実質ゼロにする
「環境印刷」を通じ、地球環境保護に積極的に取り組まれている(株)大川印刷の大川哲郎社長に、
インタビューをしてきました!
 環境にやさしい印刷をなぜ実現できたのか?
 「環境印刷」にたどり着くまでには、どのような道のりがあったのか?
直面した困難、そしてそれをどのように乗り越えられたか、ありのままに語っていただきました。
<大川哲郎社長 プロフィール>

1967年横浜生まれ。幼少期から生き物や植物、自然が好きで、自然と触れ合いながら育つ。
大学に入学した直後、父親を医療ミスで失う。
大学卒業後3年間、東京の印刷会社で修行後、大川印刷へ入社。
横浜青年会議所で、2002年社会起業家の調査研究、
2004年に企業の社会貢献・CSRの調査研究を機に、
2005年、本業を通じて社会課題解決を行う「ソーシャルプリンティングカンパニー®」
というビジョンを掲げ、現在に至る。
趣味は音楽鑑賞とギター(特にブルーズ)、旅。
Q. 社長の生い立ちはどのようなものだったのでしょうか?
 私は1967年に、横浜市磯子区で生まれました。磯子区は自然が豊かで、
四季を感じながら過ごしていました。
例えば、うちのすぐそばには沢があって、大雨の日にはカニがいたりなど、
季節ごとの生きものとのふれあいを楽しんでいました。
転機となったのは、大学1年のときに、父親を医療事故で亡くしたことでした。
自分にとってはすごくショックで、人間不信に陥りました。
そのような中で、大学を卒業する年に、アメリカ南部に行きました。
アメリカ南部のサザン・ロックが好きだったからです。
当時のアメリカ南部は白人至上主義者が多く、私も差別を受けました。
しかしながら黒人たちはとてもフレンドリーで、そこから黒人と黒人音楽が大好きになりました。
黒人の歴史を調べるにつれて、彼らが大変ひどい目にあってきたことを知りました。
それまで私は、自分がいちばん不幸なのではないかと思い込んでいましたが、
それが愚かなことだとわかり、立ち直ることができました。
 
Q. 大川印刷が「環境印刷」に至るまでには、どのような経緯があったのでしょうか?
 父とは17歳のときに家業を継ぐ約束をしており、
そのあと2年もたたずに父が亡くなってしまったため、迷いはありませんでした。
4代目の社長であった父が急死したので、母が専業主婦から、5代目の社長になりました。
私は3年間、同業他社に修行に行きました。3年経って会社に戻ってきましたが、
改善・改革がことごとく阻止される状況でした。
ちょうどバブル崩壊直後で、売り上げはどんどん落ちていきましたが、
社員の平均年齢が50歳に近く、前社長の息子でも若い者の言うことなど聞かない、
という人がほとんどでした。
当時は、タイムカードのレコーダーの前に、社員が列をなして退勤時間がくるのを待っていたり、
規律を守らない従業員が複数いたりなど、ひどい状況で、自殺しようとまで思いました。
どのみち仕事をするのであれば、自分の好きなことと仕事を一致させたいと思い、
小さい頃から生きものが好きだったことから、環境によい事業にシフトしていこうと考えました。
1990年代はちょうど、植物性インキである大豆油インキが出始めたころで、それを使おうと思いました。
紙も再生紙に変えようとしました。すると業界からは爪弾きを受けました。
「再生紙100%と書いておけば、客は気づかないだろ」とまで言う人もいました。
 2002年に、ターニングポイントが訪れました。当時私は横浜青年会議所に所属していたのですが、
そこで社会起業家の調査研究を行いました。
そのときに、ユニバーサルデザインの服飾デザイナーである、井崎孝映(いざき ゆきえ)さんと出会いました。
彼女の、障がいの有無にかかわらず、着やすくファッショナブルな洋服を提供することで、
洋服を通じて社会を変えたい、という思いを聴き、
自分が手段の目的化をしてしまっていたことに気づきました。
売り上げが落ちていく中で、自分の仕事が、注文を取り付けることになってしまっていました。
自分の事業を通じて社会を変えることの大切さに、なぜ今まで気づかなかったのだろう、
と思いました。そこから、印刷を通じて社会を変えたい、と思うようになりました。
そのあと2005年に、印刷を通じて社会課題を解決するというスタンスから、
「ソーシャルプリンティングカンパニー®」というビジョンを掲げて、代表取締役に就任しました。
その後、「印刷を通じて」というのが狭すぎると感じ、
より広く「本業を通じて」社会課題を解決するというビジョンに改めました。
会社としては、「情報産業の中核として、信頼に応える技術力と、喜びを分かち合えるものづくり」
を基本理念としています。
以前は利益を上げ、社内で喜びを分かち合えばよかったのですが、
いまはトリプルボトムライン(企業活動を経済的側面だけではなく、環境的側面、社会的側面も含めた、
三つの側面から評価する考え方)があるように、
社内だけでなく、顧客、社会、未来や地球とも喜びを分かち合えるようにしなければならないと解釈し、
現在に至っています。
Q. 社長ご就任前後で嬉しかったことはありますか?
 社長ならではの喜びはいくつもありますが、
一つ目は、事業を通じて社会課題を解決するダイナミックさ、二つ目は、従業員の成長ですね。
それらに加えて、100年企業のすごさを感じるときがあります。
100歳を超えている会社のOBに会いに行ったとき、その方は認知症を患っていたのですが、
創業130周年の記念誌を手渡すと、働いていたときの記憶がよみがえったようで、
「大川印刷!」と言葉に出してくださいました。
その方の娘さんは、大川印刷が協力して製作している『Oh!Okagawa News』という、
環境関連のフリーペーパーに、いまも協賛してくださっているそうです。
最近は3年以内に仕事を辞めてしまう人が多いようですが、
「一所懸命」という言葉の意味をもっと考えてもよいのではないかと思います。
Q. 石油系溶剤使用ゼロのインキの使用や、二酸化炭素の全量オフセットなど、
他社で実現できなかったことを実現できたのはどうしてでしょうか?
 印刷業界にはグリーンプリンティング認定制度という、日本印刷産業連合会が、
環境に配慮した印刷会社を認定する制度があります。
この制度ができる前からその制度に近いことを他社に先駆けやろうとしたことで、
思い切ったことを従業員がやってくれるようになったのが一つの理由です。
石油系溶剤を使わなくなったことにより、工場の環境がよくなり、働きやすくなったのです。
それがやがて、社会や顧客からの評価につながっていったと思っています。

 CO2の全量オフセットに関しては、横浜グリーン購入ネットワークの副会長を務めているのですが、
そこにはカーボンフリーコンサルティング(株)様が事務局としていらっしゃいます。
そうした方々とのネットワークはすごく大切で、情報がすぐに入手でき、
またアドバイスをくれたり、相談に乗ってくれる方々が、私の周りにはたくさんいます。
楽しんでやっていることで、そのような仲間が増えてきました。
私は横浜市地球温暖化対策推進協議会でも副会長をしていますが、
その中で参加してみないかとお声かけいただいたのが、ソーラーフロンティア(株)様が提供されている、
「事業者向け初期投資『0円』太陽光発電システムの設置事業」です。
いまの時代、1人・1社でできることは限りがあります。
ですから、学生や大学、行政、地域の市民とも連携するスタンスが大切だと思います。
 やはり環境活動を好きでやっている、というのが一番大きいでしょうね。
情熱を失ったら終わりだと思います。その上で従業員が協力してくれたからこそ、実現できたと思っています。
Q. 環境印刷を始められて、変化したことはありますか?
 環境印刷を始めるにあたって、私は従業員に、
「自分の子どもや孫の世代まで、いまの環境を残す、
あるいは環境をよりよくするために、いま何ができるかをちゃんと考えよう」
という話をしました。それもあって、従業員も子どもや孫に伝えることを意識して、
植樹活動に子どもを連れて行ってくれるようになりました。
社会まで変化させられるようになるのは、これからですね。
 
Q. SDGsを通じて、他のアクターとの協働は生まれているでしょうか?
 2014年に、大学生のインターンシップのプロジェクトとして、
おくすり手帳プロジェクトを半年間行いました。
これは、お年寄りが使いたくなるおくすり手帳を開発しよう、というものでしたが、
そのあとのインターンシップ生が、中国語版のものを開発しました。
そのときにヒアリングに行った「共生のまちづくりネットワークよこはま」から、
もっと多言語化しようという提案があり、ジャパンハウジング(株)様も含めた3者で連携し、
日本初の4ヶ国語版おくすり手帳が完成しました。
こうした形で、民間企業も市民団体も学生も一緒になって何かを作り上げる、ということができ始めています。

もう一つの例としては、バラの「ありがとうカード」があります。
「ありがとうカード」は、前日にしてもらったことに対する感謝を書いて、お互いに交換し合うものです。
2017年に、横浜開港記念日でもある6月2日が「ローズの日」と制定され、
横浜市の花であるバラをキーワードにして、横浜市民のシビックプライドを醸成する
バラの産地であるブルガリアで、バラの収穫時期に感謝を込めて、
バラの花やローズウォーターを使ったお菓子などを贈り合う慣習があることが、一つの背景になっています。
このプロジェクトには横浜市だけでなく、企業や学生も参加し、みんなで進めようという動きになっています。
大川印刷では、1920年の大川印刷活字見本帖の中にある石版印刷のバラの絵柄と、
当時横浜で使われていた活字のデザインで制作した「ありがとう」を合わせ、
ブルガリアンローズの香りを添えて、「ありがとうカード」を作りました。
これには、ジェンダー平等や平和への願いも込められています。
この「ありがとうカード」を通して、多くの人たちとの連携が生まれています。
Q. 今後のご展望をお聞かせください。
 2018年中に太陽光発電を本社工場に設置し、残りを新電力に切り替えることによって、
再生可能エネルギー100%を達成します。
また、2020年までにFSC認証紙の使用を全体の65%2017年度は39%)に引き上げ、
社内で使用するインキを100%ノンVOCインキ石油系溶剤0%インキ)に切り替え、
ゼロエミッション工場にする目標を掲げています。これは私が勝手に言っているわけではなく、
それぞれの目標を担当するプロジェクトがあり、そこで議論されたものです。
Q. 事業を通じて目指されていることや、人生の目標をお聞かせいただければと思います。
 ありがたいことに、会社の歴史が横浜の印刷の歴史とほぼ一致しているので、
横浜の印刷の歴史や文化を、日本に、あるいは世界に伝えていくことが、一つの使命だと思っています。
もう一つは、自分の仕事を通じて、一つでも多くの幸せを生み出すこと。
これらを自分の使命として考えています。
達成して人生を終えるものというよりは、追い続けるものであっていいと思っています。
Q. 若者に期待されていることはありますか。
 若者との連携の可能性は無限大にあると思っています。
多様性の理解や若者の活躍のように、様々な言葉が飛び交っていますが、
お互いがどのような成果を生み出そうとしているのかを明らかにし、
本質的なところを理解し合いながら連携することが必要だと思っています。
Q. 最後に、次世代を担う若者へのメッセージをお願いします。
 自分の使命がすぐにはわからなくても、考え追い求め、行動し続けることが大切だと思います。
自分が生まれてきたことには絶対意味があるはずで、それを見出さなければなりません。
それをあきらめてドロップアウトしてしまうのはもったいないと思います。
 何かしようとしていることについて、何のために、誰のためにやろうとしているのか、を問い続けること。
従業員には、印刷の注文を取り付けることではなく、
印刷物を通じて社会をよりよくすることが目的だったのではないか、という話をよくしますが、
若者に対しても同じことがいえると思います。
最初の目標は就活で内定をもらい、就職することでもよいかもしれませんが、それは手段ですよね。
何か社会に貢献するとか、幸せになるとか、誰かを幸せにすることが目的であるはずです。
自分の人生の本当の目的は何か、若いうちから考えていただけたらと思います。